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BOSTON REDSOX 年表 (THE HISTORY OF "RED SOX") |
1900-1920
レッド ソックス・ダイナスティ
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1901年にアメリカンリーグ創設と共に球団を発足させた。 設立当初の名称は「アメリカンズ」。1903年から開催される運びとなった「ワールドシリーズ」では初代チャンピオンに輝いた。
1908年には名称を正式に「レッドソックス」とする。
その後もレッドソックスの快進撃は続き、1918年までに5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げ、レッドソックス王朝を築いた。当時のチームには伝説のプレイヤー、サイ・ヤングやベーブ・ルースも在籍していた。 |
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バンビーノの呪い |
1920年1月3日、当時深刻な経営難に見舞われていたレッドソックスは、12万5千ドルの金銭プラス30万ドル以上の負債を肩代わりすることを条件にニューヨーク・ヤンキースに着実に成績を伸ばしていたベーブ・ルースをトレードしてしまった。その後急激にレッドソックスは成績を落としてしまい常勝軍団から一気に転落する。
その後、ワールドシリーズに進出しても必ず敗退してしまう、というジンクスを作り、それはファンの間で「バンビーノの呪い」として語り継がれることとなった。以降20年間レッドソックスは暗く長い低迷の道のりを歩くことになる。
(※バンビーノとはベーブ・ルースの愛称。またレッド ソックスの不調とは裏腹にヤンキースはその後飛躍的に力を伸ばして、21年にリーグ制覇。そして23年にはワールドシリーズを初制覇している。) |
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1939-1960
"打撃の神様"入団 |
20年の沈黙を経てようやく1939年にレッドソックスに朗報が訪れる。後に"打撃の神様"と称されるテッド・ウィリアムスがチームに加入する。
テッド・ウィリアムスは入団後打ちに打ちまくり、5シーズン目の1946年(戦争遠征があったため、1943年から3年間はリーグ休止)にはワールドシリーズに進出。惜しくもセントルイス・カージナルスに敗れたが、その躍進は目覚ましかった。
また1941年、1953年には打率4割を超える成績を残した。以降、現在まで打率4割を超える打者がいないことからメジャーリーグ最後の4割打者とされている。 |
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'60s
Impossible dream |
60年代に入ると、レッドソックスはまた低迷期に入ってしまう。勝率5割を超えるシーズンが少なくなり、リーグ優勝からも遠ざかってしまった。
しかし、67年シーズンにレッドソックスはチャンスを掴む。"Yaz"の愛称で親しまれたカール・ヤストレムスキーが三冠王を獲得し、前年のアメリカンリーグ9位の成績から一気に首位へ躍り出て、ワールドシリーズに進出した。(このシーズン以降メジャーリーグでは三冠王がでておらず、ヤストレムスキーは最後の三冠王とされている。)
「インポッシブル・ドリーム(Impossible dream)」と評されたそのシーズンだったが、ワールドシリーズでセントルイス・カージナルスに3勝4敗で敗れてしまい、1918年以来のリーグ制覇の夢は潰えた。 |
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'70s
最高のワールドシリーズ |
ワールドシリーズでの敗退からはしばらく好材料がなかったレッドソックスだったが、72年にカールトン・フィスクがキャッチャーとして定着し、新人王を獲得。75年にはフレッド・リンとジム・ライスという有望な若手選手二人を獲得した。
フレッド・リンのMVP、新人王同時受賞という活躍も相まって、ワールドシリーズに進出したレッドソックスは当時「ビッグレッドマシン(Big Red Machine)」と呼ばれた、シンシナティ・レッズと対戦する。
試合は逆転につぐ逆転で第7戦までもつれ込むが、僅差でレッド ソックスは敗退してしまう。
このシリーズは現在でもメジャー史に残る最高のワールドシリーズという呼び声が高い。
78年には開幕から独走し、一時は2位ヤンキースに14ゲームの差をつけたが、その後怪我人が大量に出て、最終的にはヤンキースに逆転を許してしまった。 |
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'80s
史上最悪のトンネル |
80年代には大規模な世代交代が起こり、ヤストレムスキーは引退。82年に入団したウェイド・ボッグスが83年に首位打者を獲得し、新生レッドソックスの印象を強めた。
84年にはロジャー・クレメンスがデビューし、レッド ソックスは一気に復権を狙った。
そして86年にロジャー・クレメンスが24勝4敗という圧倒的な数字を残し、ワールドシリーズに出場。ニューヨーク・メッツとの死闘を演じる。
3勝2敗と優勝に王手をかけた第6戦の延長10回裏。2点差で勝ち越し、2アウトまで追い込んだレッドソックスだったが、そこからまさかの連打を浴び同点まで追いつかれてしまう。
そしてムーキー・ウィルソンのファーストゴロに対し、一塁手ビル・バックナーが後に「史上最悪のトンネル」と称される痛恨のエラーによる逆転負け。
次の第7戦も逆転で敗戦し、このときからレッドソックスは「バンビーノの呪い」を痛感するようになった。 |
'90s
不振の10年間 |
90年代はいきなりの地区優勝から始まった。しかし、プレイオフで敗退してしまいワールドシリーズへの夢はつかの間のうちに断たれた。
91年に強打者モー・ボーンを獲得し、95年にも地区優勝を飾ったが、やはりワールシリーズへは今一歩の成績で終わってしまった。
90年代後半に入ると状況は悪化。エースのクレメンスは故障に悩まされ、ブルージェイズへ移籍。ボーンもエンゼルスへと去っていった。
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'00s
呪いが解ける日 |
新世紀に入った後もレッドソックスは相変わらずの状態だった。しかし、転機が訪れたのは2003年。アメリカンリーグチャンピオンシップ敗退後、セオ・エプスタインGMは大幅な戦力補強をし、これが功を奏した。
監督をテリー・フランコーナに託し、カート・シリングなどの有能選手を獲得した。
デイヴィッド・オルティズやマニー・ラミレスといった強打者もチームの主軸として活躍していた。
そして2004年、ワイルドカードでプレイオフに進出したレッド ソックスは宿敵ヤンキースと対戦。
3連敗の後から奇跡の4連勝を飾り、ヤンキースを退けワールドシリーズに進出した。
誰もが「バンビーノの呪い」を気にかけたワールドシリーズだったが、その懸念とは裏腹にレッドソックスはセントルイス・カージナルスを4-0と圧倒的な差で下し、ついに86年ぶりにリーグ制覇を達成し、レッドソックスは「バンビーノの呪い」から解放された。
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2006 松坂入団 |
2006年11月1日に当時西武ライオンズ所属の松坂大輔投手がポスティング制度を利用し、メジャーリーグに挑戦する旨を表明。
同15日にBOSTON REDSOXが5111万1111ドル11セント(約60億円。[511]という数字はサイ・ヤングの勝利数にちなんで。)で独占交渉権を獲得し、12月15日に正式契約。
内容は6年総額5200万ドル(約61億円)だった。
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